2016年01月24日

佐藤勇二さんに聞く 藤本蚕業土浦支店の記憶 

上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」があります。この建物は1931年(昭和6年)に建てられた旧藤本蚕業の社屋です。現在もこのように残っています。現在は藤本工業が管理をしています。その一室で、佐藤勇二さんに旧藤本蚕業の土浦支店についてお話をお聞きしました。

佐藤勇二さんに聞く 藤本蚕業土浦支店の記憶 

蚕都上田の最大の特色は、地域・上田小県が蚕種製造の一大中心地であったということです。一にも蚕種、二にも蚕種、三にも蚕種。蚕種生産高は長野県が他県を圧倒して多く、その中でも上田小県が圧倒的に多い。その中心地が上田市塩尻地区です。上塩尻の藤本蚕業はこの地域を代表する蚕種製造業者でした。大正時代末から昭和にかけては茨城県土浦市に支店を置き、関東方面に蚕種を販売していました。「蚕種製造」とは、「蚕糸業」の中で蚕種製造→養蚕→製糸という蚕糸業の一番の大元になるものです。蚕種をとり、蚕種を販売する。全国で行われていた養蚕の原資が蚕種です。

上塩尻の佐藤一族が藤本蚕業合名会社を設立したのは1908年(明治41年)3月のこと。1924年(大正13年)1月、蚕種製造経営を合名会社から藤本蚕業株式会社に分離独立、1924年2月、土浦に宅地を購入し、支店を設置しました。(参考文献:松村敏著『戦間期日本蚕糸業史研究 片倉製糸を中心に』1992、東京大学出版会)

佐藤勇二さんに聞く 藤本蚕業土浦支店の記憶 

驚くことに、藤本蚕業土浦支店の建物、敷地が今も残っています。ちなみに「藤本蚕業」は、第二次大戦中、国の政策により日本蚕種に統合されます。戦後は上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種…と変遷をしました。土浦支店の建物には「藤本蚕業株式会社土浦支店」と記されていることからも、これが戦前の状態のまま現在に至ったことがわかります。

佐藤勇二さんは藤本蚕業の戦後の企業体(上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種、藤本工業)を支えた佐藤一族のお一人です。



佐藤勇二さんが土浦支店で仕事をしたのは1951年(昭和26年)頃の約1年間です。現存している旧土浦支店の現在の写真を目にして「まだ残っていたの」と驚かれていました。

(つづく)


同じカテゴリー(取材・撮影)の記事画像
蚕都上田のストラップ商品
上田CMコンテスト2011表彰式
古老に聞く、上田市旧塩尻村の子どもたちの暮らし
同じカテゴリー(取材・撮影)の記事
 蚕都上田のストラップ商品 (2014-04-11 15:22)
 上田CMコンテスト2011表彰式 (2011-10-12 19:37)
 古老に聞く、上田市旧塩尻村の子どもたちの暮らし (2011-10-02 15:57)

Posted by 蚕都上田プロジェクト at 16:14│Comments(0)取材・撮影

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。