2016年03月16日

旧藤本蚕業土浦支店の現地調査

去る2/27、茨城県土浦市の真鍋坂にある旧藤本蚕業土浦支店を現地調査してきました。若干名の関係者で調査を行いました。

支店の建物は1924年(大正13年)頃に建てられたものです。

旧藤本蚕業土浦支店の外観

建物1階には営業用の土間と客用の座敷などがあります。

壁に組み込まれた金庫、その隣にガラス戸の付いた電話ボックスがあります。

金庫

電話ボックスの扉
電話ボックスの内部

この建物が蚕種製造の販売拠点であったことを物語るものが催青室の存在です。2室あったと思われます。2室のうちの1室には「第二催青室」と印されています。床はコンクリートで固められており、その中央部には炉があって灰が残ったままになっています。

第二催青室
第二催青室の床と炉

2階には従業員の居住用と思われる畳の座敷が4室ありました。2階の押し入 れ上段の棚などからは書類(帳簿類)、何枚かの写真、地図等が出てきました。その他、蚕種紙を収納する矩形薄型の木箱など。

▼新たに発見された帳簿
新たに出てきた帳簿

▼本場撰蚕種と書かれた紙袋
本場撰蚕種

▼その裏側には「優良蚕種」、その下に土浦支店の情報が記載されています。
優良蚕種の紙袋

▼旧真鍋町の地図(昭和2年) 土浦市立博物館にも所蔵されていない稀少な地図が見つかりました。
旧真鍋町の地図

証言によると現在更地になっている敷地内には蚕種を冷蔵する室があり、道路を挟んだ向かいにも施設、工女の住まいがあったと言います。建物の1階には催青室(蚕種を孵化させる場所)があって業務が営まれていた施設であること、2階には従業員が生活していたことがうかがわれます。

まるで大正・昭和のタイムカプセルのごとく、この21世紀にかつて蚕糸業で栄えた日本の社会の姿が現前化してきたようなタイムスリップの興奮を覚えました。近代日本の産業遺産と言ってもよいものでしょう。近現代において蚕種製造・販売は全国で行われていながら、その産業の遺産がこのように現存していること自体が希有なものです。今後の研究が待たれるだけでなく、この希有な産業遺産の保全もまた望まれるものです。



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Posted by 蚕都上田プロジェクト at 02:30│Comments(1)蚕都上田の歴史遺産

この記事へのコメント

真鍋生まれで、12年間通学で前を通っていました。
道をはさんであった「藤本アパート/通商」は半地下室がありま、地上が2階建て半地下1回の建物でした。
半地下はコンクリート作りでした。
Posted by 前島寛誠 at 2022年05月27日 11:02

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