2018年02月09日
ミニシンポジウム「蚕糸業の歴史を観光に活かす」2/27(火)開催
シルクロード長野ネットワーク主催の信州シルクロード観光ミニシンポジウム「蚕糸業の歴史を観光に活かす」が以下のとおり開催されます。
日時 2018年 2月27日(火) 13:30~16:00
場所 まちなかキャンパスうえだ 長野県上田市中央2-5-10 丸陽ビル1階
※専用駐車場はございません。近隣の有料駐車場をご利用ください。
報告1「モニターツアー*に取り組んで」 *小諸・上田・須坂・松代をめぐる2日間ツアー
シルクロード長野ネットワーク 山崎隆之(長野大学准教授)
報告2「信州シルクロードと観光振興」 岡谷市商業観光課 原 尚彦(観光主幹)
報告3「オープンデータを用いたシルクロード観光案内アプリ」
シルクロード長野ネットワーク 前川道博(長野大学教授)
フロアディスカッション(報告者と参加者で意見交換します)
■シルクロード長野ネットワーク事務局
〒386-1298 長野県上田市下之郷658-1 長野大学内
e-mail: silkroad◆nagano.ac.jp ※◆は@に置き換えてください
TEL: 090-2270-5074(担当: 前川道博) FAX: 0268-39-0002
◎参加申込 2/26までに参加申込フォーム、または上記e-mail、FAXのいずれかでお申し込みください。
参加申込フォーム https://mmdb.net/silknet/form/
2016年09月27日
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 2016/10開講
「信州の蚕糸業とシルクロード」の全貌が概観できる画期的な講座が開かれます。
「まちなかキャンパスうえだ」市民向け講座 2016年10月開講
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード~なぜ信州は蚕糸王国になったのか~」講座(全6回)
信州の蚕糸業とシルクロードの歴史的背景をひもときつつ、歴史や資源をこれからの地域学習・地域づくり・観光などにどのように活かしていくか、その見方の理解を深めます。
信州蚕糸業遺産:重要文化財「旧常田館製糸場施設」(上田市)
【講座概要】
第1回 近代のシルクロードとは? 10/01(土) 14:00~16:00
講師:山浦直人(土木・環境しなの技術支援センター理事)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第2回 信州が蚕糸王国ってホント? 10/06(木) 19:00~21:00
講師:市川正夫(長野大学環境ツーリズム学部教授)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第3回 信州と上州の製糸業を比べてみると 10/08(土) 14:00~16:00
講師:今井幹夫(富岡製糸場総合研究センター所長)
第4回 岡谷・諏訪地方はなぜ製糸日本一になったか 10/11(火) 19:00~21:00
講師:高林千幸(岡谷蚕糸博物館館長)
第5回 上田小県はなぜ蚕種日本一になったか 10/18(火) 19:00~21:00
講師:阿部勇(長野県図書館等協働機構理事、歴史研究者)
第6回 蚕糸王国信州を未来にどう伝えるか 10/20(木) 19:00~21:00
講師:水島久光(東海大学文学部教授)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
【講座企画】
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
市川正夫(長野大学環境ツーリズム学部教授)
【対象者】
社会教育・生涯学習・学校教育・図書館・観光業などに関わる方
地域学習、地域づくり、地域史、蚕糸業に関心のある方
学校の先生(総合の時間等の授業科目、課外活動等に利用可能)
【定員】30名(最低開講受講者数10名)
【受講料】無料
【会場】まちなかキャンパスうえだ 上田市中央2-5-10 丸陽ビル1階(海野町商店街)
【受講申し込み】 「まちなかキャンパスうえだ」へお申し込みください。
開催期間中であっても座席に余裕がある場合は申し込みを受け付けます。
TEL/FAX:0268-75-0065 メール:info_mcu◆email.plala.or.jp ◆は@に置き換えてください。
【備考】全ての回のご出席がムリな場合でもお申し込み可能です。
【講座案内PDF版】 http://www.mmdb.net/silknet/info/2016-10koza.pdf
「まちなかキャンパスうえだ」市民向け講座 2016年10月開講
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード~なぜ信州は蚕糸王国になったのか~」講座(全6回)
信州の蚕糸業とシルクロードの歴史的背景をひもときつつ、歴史や資源をこれからの地域学習・地域づくり・観光などにどのように活かしていくか、その見方の理解を深めます。
信州蚕糸業遺産:重要文化財「旧常田館製糸場施設」(上田市)
【講座概要】
第1回 近代のシルクロードとは? 10/01(土) 14:00~16:00
講師:山浦直人(土木・環境しなの技術支援センター理事)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第2回 信州が蚕糸王国ってホント? 10/06(木) 19:00~21:00
講師:市川正夫(長野大学環境ツーリズム学部教授)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第3回 信州と上州の製糸業を比べてみると 10/08(土) 14:00~16:00
講師:今井幹夫(富岡製糸場総合研究センター所長)
第4回 岡谷・諏訪地方はなぜ製糸日本一になったか 10/11(火) 19:00~21:00
講師:高林千幸(岡谷蚕糸博物館館長)
第5回 上田小県はなぜ蚕種日本一になったか 10/18(火) 19:00~21:00
講師:阿部勇(長野県図書館等協働機構理事、歴史研究者)
第6回 蚕糸王国信州を未来にどう伝えるか 10/20(木) 19:00~21:00
講師:水島久光(東海大学文学部教授)
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
【講座企画】
前川道博(長野大学企業情報学部教授)
市川正夫(長野大学環境ツーリズム学部教授)
【対象者】
社会教育・生涯学習・学校教育・図書館・観光業などに関わる方
地域学習、地域づくり、地域史、蚕糸業に関心のある方
学校の先生(総合の時間等の授業科目、課外活動等に利用可能)
【定員】30名(最低開講受講者数10名)
【受講料】無料
【会場】まちなかキャンパスうえだ 上田市中央2-5-10 丸陽ビル1階(海野町商店街)
【受講申し込み】 「まちなかキャンパスうえだ」へお申し込みください。
開催期間中であっても座席に余裕がある場合は申し込みを受け付けます。
TEL/FAX:0268-75-0065 メール:info_mcu◆email.plala.or.jp ◆は@に置き換えてください。
【備考】全ての回のご出席がムリな場合でもお申し込み可能です。
【講座案内PDF版】 http://www.mmdb.net/silknet/info/2016-10koza.pdf
2016年04月05日
季節のつるし飾りと人形展2016
上田千本桜まつりに合わせ、毎年春恒例の「季節のつるし飾りと人形展」が開催されます。
期間:4/6(水)~4/11(月) 10:00~16:00
会場:ゆたかや
主催:上田さくら会・まゆの会・いけばな小原流浜社中
お問合せ:0268-24-2415
四季を彩るつるし飾り・人形・鳥や花の作品の数々をお楽しみ下さい。
期間:4/6(水)~4/11(月) 10:00~16:00
会場:ゆたかや
主催:上田さくら会・まゆの会・いけばな小原流浜社中
お問合せ:0268-24-2415
四季を彩るつるし飾り・人形・鳥や花の作品の数々をお楽しみ下さい。
2016年03月16日
旧藤本蚕業土浦支店の現地調査
去る2/27、茨城県土浦市の真鍋坂にある旧藤本蚕業土浦支店を現地調査してきました。若干名の関係者で調査を行いました。
支店の建物は1924年(大正13年)頃に建てられたものです。
建物1階には営業用の土間と客用の座敷などがあります。
壁に組み込まれた金庫、その隣にガラス戸の付いた電話ボックスがあります。
この建物が蚕種製造の販売拠点であったことを物語るものが催青室の存在です。2室あったと思われます。2室のうちの1室には「第二催青室」と印されています。床はコンクリートで固められており、その中央部には炉があって灰が残ったままになっています。
2階には従業員の居住用と思われる畳の座敷が4室ありました。2階の押し入 れ上段の棚などからは書類(帳簿類)、何枚かの写真、地図等が出てきました。その他、蚕種紙を収納する矩形薄型の木箱など。
▼新たに発見された帳簿
▼本場撰蚕種と書かれた紙袋
▼その裏側には「優良蚕種」、その下に土浦支店の情報が記載されています。
▼旧真鍋町の地図(昭和2年) 土浦市立博物館にも所蔵されていない稀少な地図が見つかりました。
証言によると現在更地になっている敷地内には蚕種を冷蔵する室があり、道路を挟んだ向かいにも施設、工女の住まいがあったと言います。建物の1階には催青室(蚕種を孵化させる場所)があって業務が営まれていた施設であること、2階には従業員が生活していたことがうかがわれます。
まるで大正・昭和のタイムカプセルのごとく、この21世紀にかつて蚕糸業で栄えた日本の社会の姿が現前化してきたようなタイムスリップの興奮を覚えました。近代日本の産業遺産と言ってもよいものでしょう。近現代において蚕種製造・販売は全国で行われていながら、その産業の遺産がこのように現存していること自体が希有なものです。今後の研究が待たれるだけでなく、この希有な産業遺産の保全もまた望まれるものです。
支店の建物は1924年(大正13年)頃に建てられたものです。
建物1階には営業用の土間と客用の座敷などがあります。
壁に組み込まれた金庫、その隣にガラス戸の付いた電話ボックスがあります。
この建物が蚕種製造の販売拠点であったことを物語るものが催青室の存在です。2室あったと思われます。2室のうちの1室には「第二催青室」と印されています。床はコンクリートで固められており、その中央部には炉があって灰が残ったままになっています。
2階には従業員の居住用と思われる畳の座敷が4室ありました。2階の押し入 れ上段の棚などからは書類(帳簿類)、何枚かの写真、地図等が出てきました。その他、蚕種紙を収納する矩形薄型の木箱など。
▼新たに発見された帳簿
▼本場撰蚕種と書かれた紙袋
▼その裏側には「優良蚕種」、その下に土浦支店の情報が記載されています。
▼旧真鍋町の地図(昭和2年) 土浦市立博物館にも所蔵されていない稀少な地図が見つかりました。
証言によると現在更地になっている敷地内には蚕種を冷蔵する室があり、道路を挟んだ向かいにも施設、工女の住まいがあったと言います。建物の1階には催青室(蚕種を孵化させる場所)があって業務が営まれていた施設であること、2階には従業員が生活していたことがうかがわれます。
まるで大正・昭和のタイムカプセルのごとく、この21世紀にかつて蚕糸業で栄えた日本の社会の姿が現前化してきたようなタイムスリップの興奮を覚えました。近代日本の産業遺産と言ってもよいものでしょう。近現代において蚕種製造・販売は全国で行われていながら、その産業の遺産がこのように現存していること自体が希有なものです。今後の研究が待たれるだけでなく、この希有な産業遺産の保全もまた望まれるものです。
2016年01月24日
佐藤勇二さんに聞く 藤本蚕業土浦支店の記憶
上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」があります。この建物は1931年(昭和6年)に建てられた旧藤本蚕業の社屋です。現在もこのように残っています。現在は藤本工業が管理をしています。その一室で、佐藤勇二さんに旧藤本蚕業の土浦支店についてお話をお聞きしました。
蚕都上田の最大の特色は、地域・上田小県が蚕種製造の一大中心地であったということです。一にも蚕種、二にも蚕種、三にも蚕種。蚕種生産高は長野県が他県を圧倒して多く、その中でも上田小県が圧倒的に多い。その中心地が上田市塩尻地区です。上塩尻の藤本蚕業はこの地域を代表する蚕種製造業者でした。大正時代末から昭和にかけては茨城県土浦市に支店を置き、関東方面に蚕種を販売していました。「蚕種製造」とは、「蚕糸業」の中で蚕種製造→養蚕→製糸という蚕糸業の一番の大元になるものです。蚕種をとり、蚕種を販売する。全国で行われていた養蚕の原資が蚕種です。
上塩尻の佐藤一族が藤本蚕業合名会社を設立したのは1908年(明治41年)3月のこと。1924年(大正13年)1月、蚕種製造経営を合名会社から藤本蚕業株式会社に分離独立、1924年2月、土浦に宅地を購入し、支店を設置しました。(参考文献:松村敏著『戦間期日本蚕糸業史研究 片倉製糸を中心に』1992、東京大学出版会)
驚くことに、藤本蚕業土浦支店の建物、敷地が今も残っています。ちなみに「藤本蚕業」は、第二次大戦中、国の政策により日本蚕種に統合されます。戦後は上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種…と変遷をしました。土浦支店の建物には「藤本蚕業株式会社土浦支店」と記されていることからも、これが戦前の状態のまま現在に至ったことがわかります。
佐藤勇二さんは藤本蚕業の戦後の企業体(上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種、藤本工業)を支えた佐藤一族のお一人です。
佐藤勇二さんが土浦支店で仕事をしたのは1951年(昭和26年)頃の約1年間です。現存している旧土浦支店の現在の写真を目にして「まだ残っていたの」と驚かれていました。
(つづく)
蚕都上田の最大の特色は、地域・上田小県が蚕種製造の一大中心地であったということです。一にも蚕種、二にも蚕種、三にも蚕種。蚕種生産高は長野県が他県を圧倒して多く、その中でも上田小県が圧倒的に多い。その中心地が上田市塩尻地区です。上塩尻の藤本蚕業はこの地域を代表する蚕種製造業者でした。大正時代末から昭和にかけては茨城県土浦市に支店を置き、関東方面に蚕種を販売していました。「蚕種製造」とは、「蚕糸業」の中で蚕種製造→養蚕→製糸という蚕糸業の一番の大元になるものです。蚕種をとり、蚕種を販売する。全国で行われていた養蚕の原資が蚕種です。
上塩尻の佐藤一族が藤本蚕業合名会社を設立したのは1908年(明治41年)3月のこと。1924年(大正13年)1月、蚕種製造経営を合名会社から藤本蚕業株式会社に分離独立、1924年2月、土浦に宅地を購入し、支店を設置しました。(参考文献:松村敏著『戦間期日本蚕糸業史研究 片倉製糸を中心に』1992、東京大学出版会)
驚くことに、藤本蚕業土浦支店の建物、敷地が今も残っています。ちなみに「藤本蚕業」は、第二次大戦中、国の政策により日本蚕種に統合されます。戦後は上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種…と変遷をしました。土浦支店の建物には「藤本蚕業株式会社土浦支店」と記されていることからも、これが戦前の状態のまま現在に至ったことがわかります。
佐藤勇二さんは藤本蚕業の戦後の企業体(上田社、上田蚕種協同組合、藤本蚕種、藤本工業)を支えた佐藤一族のお一人です。
佐藤勇二さんが土浦支店で仕事をしたのは1951年(昭和26年)頃の約1年間です。現存している旧土浦支店の現在の写真を目にして「まだ残っていたの」と驚かれていました。
(つづく)
2015年11月07日
「第9回甦る布展」開催中です
「甦る布展」の様子をご紹介します。上田は「蚕都」とも呼ばれたように、蚕糸業で栄えた地域です。また上田紬でも知られる地域です。蚕都の歴史・文化にも親しんでいただく場として、毎年、上田城の紅葉まつりに合わせて、上田さくら会が蚕都上田プロジェクトと共同で開催しています。
今年は11/1(日)~11/8(日)の毎日(11/3のみお休み)、上田市のゆたかや3階で開催しています。おかげさまで、連日、大勢の方にお越しいただいています。
「甦る布展」は、これまでの会場・蚕都上田館の閉館に伴い、今年2015年はゆたかやで開催することとしました。
ゆたかや3階が会場です。人形やつるし飾りなどの展示の他、着物のリフォームコーナー、和風スペースなど趣向を凝らした展示としました。
▼着物のリフォームのコーナー
▼人形・つるし飾りなどの展示
▼人形のいくつか
来年はNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されるのにもちなみ、真田氏にまつわる人形の展示も行いました。
上田のつるし飾りは江戸時代以来の伝統があり、平べったい上田つるし飾りの形状にも特色があります。
「甦る布展」は11/8(日)まで開催されています。皆様もどうぞ会場へ足をお運びください。
今年は11/1(日)~11/8(日)の毎日(11/3のみお休み)、上田市のゆたかや3階で開催しています。おかげさまで、連日、大勢の方にお越しいただいています。
「甦る布展」は、これまでの会場・蚕都上田館の閉館に伴い、今年2015年はゆたかやで開催することとしました。
ゆたかや3階が会場です。人形やつるし飾りなどの展示の他、着物のリフォームコーナー、和風スペースなど趣向を凝らした展示としました。
▼着物のリフォームのコーナー
▼人形・つるし飾りなどの展示
▼人形のいくつか
来年はNHK大河ドラマ『真田丸』が放送されるのにもちなみ、真田氏にまつわる人形の展示も行いました。
上田のつるし飾りは江戸時代以来の伝統があり、平べったい上田つるし飾りの形状にも特色があります。
「甦る布展」は11/8(日)まで開催されています。皆様もどうぞ会場へ足をお運びください。
2015年09月07日
「第9回甦る布展2015」開催のお知らせ
第9回甦る布展
上田城けやき並木紅葉まつり関連イベント
残したい 伝えたい 布の温もり
古い着物や帯から人形やつるし飾りを作ったり、着物をリフォームしたものを展示・販売します。
蚕都上田の歴史的な彩り、古布の温もりをお楽しみください。
【日時】 2015/11/1(日)~11/8(日) 10:00~16:00(最終日15:00まで) 11/3(火)はお休み
【会場】 ゆたかや3階(下記会場案内図をご覧ください) 上田市中央2-2-16
→http://www.yutakaya-kimono.net/policy.html#map
駐車場はありません。会場近くの有料駐車場をご利用ください。
【体験コーナー】 1点材料込み1,000円
◎着物リフォーム(ボレロ)
【お問合せ】 0268-24-2415(上田さくら会)
【主催】 上田さくら会、蚕都上田プロジェクト
【共催】 ゆたかやリフォーム教室、エンジョイすみ子ワールド、
いけばな小原流浜社中
【会場案内図】
上田城けやき並木紅葉まつり関連イベント
残したい 伝えたい 布の温もり
古い着物や帯から人形やつるし飾りを作ったり、着物をリフォームしたものを展示・販売します。
蚕都上田の歴史的な彩り、古布の温もりをお楽しみください。
【日時】 2015/11/1(日)~11/8(日) 10:00~16:00(最終日15:00まで) 11/3(火)はお休み
【会場】 ゆたかや3階(下記会場案内図をご覧ください) 上田市中央2-2-16
→http://www.yutakaya-kimono.net/policy.html#map
駐車場はありません。会場近くの有料駐車場をご利用ください。
【体験コーナー】 1点材料込み1,000円
◎着物リフォーム(ボレロ)
【お問合せ】 0268-24-2415(上田さくら会)
【主催】 上田さくら会、蚕都上田プロジェクト
【共催】 ゆたかやリフォーム教室、エンジョイすみ子ワールド、
いけばな小原流浜社中
【会場案内図】
2015年06月01日
蚕都上田館・最後の日
蚕都上田館は5月10日の開館を最後に閉館しました。蚕都上田プロジェクトでは、蚕都上田館を上田市にお返しするため、閉館後の5月中は、室内に持ち込んだ道具などの整理・搬出、清掃などを行いました。
蚕都上田館は上田城跡公園を出て上田市観光会館の前を過ぎると、次のような見え方になります。
今からちょうど100年前の1915年に建てられた歴史的建造物の品格ある佇まいが印象的な洋風建築です。
展示していたものなどはだいぶ整理をしました。ご覧のとおり、室内は閑散としてきました。
室内で使っていたたたみも日光に当てて干しました。
看板なども整理しました。これらの看板も今となってはメモリアルです。
蚕都上田館の建物の裏側も景観的には印象的なものです。建物正面は玄関は突き出ているものの壁は全体が平板です。裏側は左手が手前に突き出ており、この建物の景観のアクセントとなっています。表からはよく見えない曲線を帯びたマンサード屋根の形状がよりよく見えます。
100年の時を超えて現代に受け継がれてきた地域の宝です。未来永劫に残していただきたいものです。
蚕都上田館は上田城跡公園を出て上田市観光会館の前を過ぎると、次のような見え方になります。
今からちょうど100年前の1915年に建てられた歴史的建造物の品格ある佇まいが印象的な洋風建築です。
展示していたものなどはだいぶ整理をしました。ご覧のとおり、室内は閑散としてきました。
室内で使っていたたたみも日光に当てて干しました。
看板なども整理しました。これらの看板も今となってはメモリアルです。
蚕都上田館の建物の裏側も景観的には印象的なものです。建物正面は玄関は突き出ているものの壁は全体が平板です。裏側は左手が手前に突き出ており、この建物の景観のアクセントとなっています。表からはよく見えない曲線を帯びたマンサード屋根の形状がよりよく見えます。
100年の時を超えて現代に受け継がれてきた地域の宝です。未来永劫に残していただきたいものです。
2015年05月27日
蚕都上田館閉館 『東信ジャーナル』の記事
『東信ジャーナル』2015/05/15付のトップに掲載された蚕都上田館閉館の記事が同社のブログにも転載されました。ご参考までにお知らせいたします。
◆2015年05月15日
上田市の「蚕都上田館」が100年の歴史に幕を閉じた。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000468019.html
蚕都上田プロジェクトは、上田市登録有形文化財「旧上田市立図書館」という地域の宝を、多くの市民や観光客の方々に触れていただくため、「蚕都上田館」として公開してきました。5年間の開館期間を通じて1万人を超える来館者がありました。多くの方々に地域の宝を感じていただくことができたことが何よりの喜びです。
◆2015年05月15日
上田市の「蚕都上田館」が100年の歴史に幕を閉じた。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000468019.html
蚕都上田プロジェクトは、上田市登録有形文化財「旧上田市立図書館」という地域の宝を、多くの市民や観光客の方々に触れていただくため、「蚕都上田館」として公開してきました。5年間の開館期間を通じて1万人を超える来館者がありました。多くの方々に地域の宝を感じていただくことができたことが何よりの喜びです。
2015年05月12日
地元S紙5/10付の記事に対するお詫び
「蚕都上田館」が閉館することについて、地元紙S社から取材を受け、5/10付の紙面に掲載されました。
記事:「蚕都上田館」きょう閉館 上田市文化財 老朽化理由に (地元紙S紙 2015/5/10付 東信面)
記事の内容については、特定の事実関係が誇張され、関係者の心証を害するものでした。さらには蚕都上田プロジェクトと上田市が対立しているかのごとき印象を与えるものでした。記事には次のようなくだりがあります。
「所有する市が安全性に問題があるとして市民側に退去を要請。市民有志は閉館に応じたものの、施設の保存や有効活用を市に求めていく考えだ。」
私たち蚕都上田プロジェクトは、上田市から安全性に関して丁寧な説明を受け、使用をやめることに同意したものです。記事中の「退去を要請」という書きぶりは「出て行けと勧告された」というニュアンスに近く、市と対立関係にあるかのごとくに誤解されかねない内容でした。
蚕都上田プロジェクトは2010年以来、市所有の財産である「旧上田市立図書館」を上田市から借り受けて運営してきました。建物自体が老朽化しており、設備もそのままでは利用が難しいため、水道管の修繕、電源回線の整備などにも配慮していただき、そのおかげで私たちは蚕都上田館を5年間の長きにわたり開館運営することができました。なお、ロビースペースを市民や観光客の皆様に開放する運用は、私たちがボランタリーに開館運営に協力することを市に提案し、「行政と市民の協働」として実践してきたものです。
上田市のご理解、ご協力により、蚕都上田館を開館運用することができました。またそれにより、開館運用の5年間に延べ1万人近い方々にご利用いただけたことを私たちも誇りに感じ、また皆様に感謝するものです。この場を借りて皆様に御礼申し上げます。
蚕都上田館は閉館いたしましたが、今後に向けては、文化財「旧上田市立図書館」が地域の宝として改修・活用されていくよう、呼びかけや提案をさせていただきたいと考えております。
記事:「蚕都上田館」きょう閉館 上田市文化財 老朽化理由に (地元紙S紙 2015/5/10付 東信面)
記事の内容については、特定の事実関係が誇張され、関係者の心証を害するものでした。さらには蚕都上田プロジェクトと上田市が対立しているかのごとき印象を与えるものでした。記事には次のようなくだりがあります。
「所有する市が安全性に問題があるとして市民側に退去を要請。市民有志は閉館に応じたものの、施設の保存や有効活用を市に求めていく考えだ。」
私たち蚕都上田プロジェクトは、上田市から安全性に関して丁寧な説明を受け、使用をやめることに同意したものです。記事中の「退去を要請」という書きぶりは「出て行けと勧告された」というニュアンスに近く、市と対立関係にあるかのごとくに誤解されかねない内容でした。
蚕都上田プロジェクトは2010年以来、市所有の財産である「旧上田市立図書館」を上田市から借り受けて運営してきました。建物自体が老朽化しており、設備もそのままでは利用が難しいため、水道管の修繕、電源回線の整備などにも配慮していただき、そのおかげで私たちは蚕都上田館を5年間の長きにわたり開館運営することができました。なお、ロビースペースを市民や観光客の皆様に開放する運用は、私たちがボランタリーに開館運営に協力することを市に提案し、「行政と市民の協働」として実践してきたものです。
上田市のご理解、ご協力により、蚕都上田館を開館運用することができました。またそれにより、開館運用の5年間に延べ1万人近い方々にご利用いただけたことを私たちも誇りに感じ、また皆様に感謝するものです。この場を借りて皆様に御礼申し上げます。
蚕都上田館は閉館いたしましたが、今後に向けては、文化財「旧上田市立図書館」が地域の宝として改修・活用されていくよう、呼びかけや提案をさせていただきたいと考えております。
2015年05月09日
蚕都上田館 最後の開館5/9-5/10
蚕都上田館(さんとうえだかん、上田市指定文化財「旧上田市立図書館」)は2010年以来、蚕都上田プロジェクトが上田市との連携により開館運用してきましたが、築100年の古い建物で耐震性の問題があることから、2015年5月9日(土)・10日(日)の2日間、最後の開館を行い、閉館することとしました。館内では蚕都上田に関する簡易の展示を行っています。最後の2日間の御来館をお待ちしています。
☆最後の開館 5月9日(土)・10日(日) いずれも10:00~16:00
●蚕都上田館の5年間にわたる運用実績
蚕都上田館は、2010年まで閉館していた旧上田市立図書館を蚕都上田プロジェクトが上田市から借り受け、市民と地域の交流発信サロン「蚕都上田館(さんとうえだかん)」として同年10月にオープンした後、インターネット放送局、公開講座会場などの用途で活用した他、毎年4~11月の土日は市民や観光客に展示スペース、毎年春には「上田城千本桜まつり」の関連イベント「季節のつるし飾りと人形展」会場、毎年秋には「上田城けやき並木紅葉まつり」の関連イベント「甦る布展」会場として活用してきました。
これらの開館運用を通じて延べ約1万人が蚕都上田館を訪れました。
●シルク観光ブームに応えられる唯一の公開スペースとしての価値の増大
2014年、富岡製糸場が世界遺産に登録されて以来、全国的な規模でシルクの歴史・文化に対する関心の高まりが起きています。蚕都上田館には、簡易的な形ながら、蚕都上田の歴史・文化に関わる文物を常設展示しています。上田城跡公園を訪れた観光客が帰り際、「蚕都」に興味を惹かれて立ち寄るケースが多く、上田が蚕糸業の中心地であったことを「発見」していただく文化施設としての役割を担ってきました。
●ますます求められる蚕都上田展示スペースの重要性
富岡製糸場は世界遺産登録後、観光客が4倍に急増し、その引上げ効果によるシルク観光ブームが全国的に起きています。まさに「蚕都上田」は、シルク観光の筆頭候補に挙げられる観光資源ながら、観光客に対してその観光PRがなされておらず、オープンな展示施設もなく、シルクに関心のあるお客さんが知らないままに上田を立ち去る状況が相次いでいます。蚕都上田館は、まさにそうした観光ニーズに応え続けてきました。
●蚕都上田全盛期の歴史遺産
「蚕都上田」の全盛期は、上田が市政を施行した1919年前後の頃から日本の蚕糸業がピークをなした1929年頃(世界恐慌の前)になります。1915年に竣工した旧上田市立図書館は、その時代の文化を現代に伝える数少ない蚕都上田歴史遺産です。今後に向けてはその耐震性の補強工事、歴史遺産としての保存・観光施設としての活用が望まれます。
☆最後の開館 5月9日(土)・10日(日) いずれも10:00~16:00
●蚕都上田館の5年間にわたる運用実績
蚕都上田館は、2010年まで閉館していた旧上田市立図書館を蚕都上田プロジェクトが上田市から借り受け、市民と地域の交流発信サロン「蚕都上田館(さんとうえだかん)」として同年10月にオープンした後、インターネット放送局、公開講座会場などの用途で活用した他、毎年4~11月の土日は市民や観光客に展示スペース、毎年春には「上田城千本桜まつり」の関連イベント「季節のつるし飾りと人形展」会場、毎年秋には「上田城けやき並木紅葉まつり」の関連イベント「甦る布展」会場として活用してきました。
これらの開館運用を通じて延べ約1万人が蚕都上田館を訪れました。
●シルク観光ブームに応えられる唯一の公開スペースとしての価値の増大
2014年、富岡製糸場が世界遺産に登録されて以来、全国的な規模でシルクの歴史・文化に対する関心の高まりが起きています。蚕都上田館には、簡易的な形ながら、蚕都上田の歴史・文化に関わる文物を常設展示しています。上田城跡公園を訪れた観光客が帰り際、「蚕都」に興味を惹かれて立ち寄るケースが多く、上田が蚕糸業の中心地であったことを「発見」していただく文化施設としての役割を担ってきました。
●ますます求められる蚕都上田展示スペースの重要性
富岡製糸場は世界遺産登録後、観光客が4倍に急増し、その引上げ効果によるシルク観光ブームが全国的に起きています。まさに「蚕都上田」は、シルク観光の筆頭候補に挙げられる観光資源ながら、観光客に対してその観光PRがなされておらず、オープンな展示施設もなく、シルクに関心のあるお客さんが知らないままに上田を立ち去る状況が相次いでいます。蚕都上田館は、まさにそうした観光ニーズに応え続けてきました。
●蚕都上田全盛期の歴史遺産
「蚕都上田」の全盛期は、上田が市政を施行した1919年前後の頃から日本の蚕糸業がピークをなした1929年頃(世界恐慌の前)になります。1915年に竣工した旧上田市立図書館は、その時代の文化を現代に伝える数少ない蚕都上田歴史遺産です。今後に向けてはその耐震性の補強工事、歴史遺産としての保存・観光施設としての活用が望まれます。
2015年04月26日
蚕都上田館閉館のお知らせ
蚕都上田館は2010年以来、蚕都上田プロジェクトが上田市との連携により開館運用してきましたが、築100年の古い建物で耐震性の問題があることから、2015年5月10日を最後に閉館することとなりました。
耐震補強が施され、再び開館されることを願うものです。 -----蚕都上田プロジェクト
なお5月中は以下の通り開館します。
5/2(土)・5/3(日)・5/9(土)・5/10(日) 各日とも10:00~16:00開館
最後の開館期間中、蚕都上田館の見納めにお越しいただきますようお待ちしています。
→蚕都上田館・開館情報
http://sns.orahonet.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=14126&bbs_id=194&res=1325433339
耐震補強が施され、再び開館されることを願うものです。 -----蚕都上田プロジェクト
なお5月中は以下の通り開館します。
5/2(土)・5/3(日)・5/9(土)・5/10(日) 各日とも10:00~16:00開館
最後の開館期間中、蚕都上田館の見納めにお越しいただきますようお待ちしています。
→蚕都上田館・開館情報
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2015年02月25日
蚕都上田視察同行記4:常田館製糸場
蚕都上田視察の最後は笠原工業常田館製糸場(重要文化財「旧常田館製糸場施設」)です。現存する最大級の製糸場が富岡製糸場、そして唯二の常田館製糸場です。常田館製糸場は、笠原工業株式会社の敷地内にあります。
常田館製糸場が創業したのが1900年(明治33年)、木造の五階繭倉庫は1905年の建築です。富岡の繭倉庫が外国直輸入のものであるのに対し、常田館製糸場は国内で進化を遂げた製糸場の特徴を有する唯一の製糸場です。
五階鉄筋繭倉庫(1926年竣工)は、長野県内では最古の鉄筋コンクリート造の建造物です。築後90年を経過しながらしっかりとしています。
各階に繭を移送するため中央には穴が開いています。
また防火のため、階段には鉄板の防火壁が設けられています。
繭倉庫内は展示スペースとしても利用されています。
木造五階建繭倉庫は最上階にまで上がることができます。驚くことに巨大な建物を支える支柱がありません。また、床板には隙間があり、すかすかの構造になっています。
和洋折衷の建物「常田館」(1908年竣工)は洋館風事務所として建築されたもので、現在、講習会などでも使われることがあります。
視察を終えられた関東経済産業局の御担当の方々と地元上田の関係者との間で情報交換が行われました。産業部担当次長の大熊章さんからは、「蚕都上田に数多くあるこれらの地域資源をどう活用していくかが知恵の出しどころ」であると課題を投げかけられました。
この地域の宝である蚕都上田の歴史遺産群を地域の経済活性化のために役立てる。今この課題に直面してきていること、言い換えれば経済活性化のチャンスが富岡の世界遺産により訪れていることを気づかせていただく貴重な機会となりました。
常田館製糸場が創業したのが1900年(明治33年)、木造の五階繭倉庫は1905年の建築です。富岡の繭倉庫が外国直輸入のものであるのに対し、常田館製糸場は国内で進化を遂げた製糸場の特徴を有する唯一の製糸場です。
五階鉄筋繭倉庫(1926年竣工)は、長野県内では最古の鉄筋コンクリート造の建造物です。築後90年を経過しながらしっかりとしています。
各階に繭を移送するため中央には穴が開いています。
また防火のため、階段には鉄板の防火壁が設けられています。
繭倉庫内は展示スペースとしても利用されています。
木造五階建繭倉庫は最上階にまで上がることができます。驚くことに巨大な建物を支える支柱がありません。また、床板には隙間があり、すかすかの構造になっています。
和洋折衷の建物「常田館」(1908年竣工)は洋館風事務所として建築されたもので、現在、講習会などでも使われることがあります。
視察を終えられた関東経済産業局の御担当の方々と地元上田の関係者との間で情報交換が行われました。産業部担当次長の大熊章さんからは、「蚕都上田に数多くあるこれらの地域資源をどう活用していくかが知恵の出しどころ」であると課題を投げかけられました。
この地域の宝である蚕都上田の歴史遺産群を地域の経済活性化のために役立てる。今この課題に直面してきていること、言い換えれば経済活性化のチャンスが富岡の世界遺産により訪れていることを気づかせていただく貴重な機会となりました。
2015年02月25日
蚕都上田視察同行記3:上塩尻、柳町、蚕都上田館、飯島商店
上塩尻蚕種製造民家群
上塩尻は北国街道沿いの集落です。江戸期、塩尻地区では蚕種製造業が発達し、幕末には既に日本最大級の蚕種製造地となりました。かつては殆どの家々で蚕種製造が営まれていました。現在もなお蚕種製造のための蚕室造りの民家が数多く残っています。「藤本の蚕室」もその一つです。1868年(明治元年)頃に建ったと伝えられています。
蚕室の特徴の一つは屋根の上に細長く伸びる腰屋根です。気抜とも言います。蚕は湿気や乾燥を嫌うため、蚕室内の温度調節、湿度調節のための腰屋根が付いています。
養蚕にとって大敵であった寒さ防止のための埋薪(まいしん)という仕掛けが施されています。韓国のオンドル(温突)に似た仕掛けです。
蚕種製造民家は全国的にはめずらしく、上塩尻に数多く残っています。
上塩尻の集落の特色は蚕室造りの建物が数多い一方で、道路が極めて狭いことです。北国街道から分岐する道を小路と呼んでいます。この小路は馬場姓が多いことから馬場小路と呼ばれています。
上塩尻のメインストリートは北国街道(善光寺道)です。西は善光寺や金沢へ、東は軽井沢で中山道に合流し江戸東京方面へと延びています。まさに日本シルクロードです。
柳町
柳町は北国街道の上田宿です。生糸貿易で栄えた明治以後、繭取引商が集積しました。柳町の歴史ある街並みが保全されています。
蚕都上田館(旧上田市立図書館)
蚕都上田館は1915年に築かれたドイツ様式の洋風建築です。今年2015年、ちょうど築100周年を迎えました。蚕糸業で上田が繁栄し絶頂へと向かう時代の気風を今日によく伝えた数少ない建造物の一つです。
耐震性の課題もあり、今後に向けての観光資源としての活用が課題となります。上田の最大の観光スポットである上田城跡公園に近く、上田はお城と真田氏ばかりではない「蚕都」の遺産があることを知って上田の歴史に関心を持たれる方が少なくありません。
飯島商店
みすず飴本舗こと飯島商店の社屋は1922年に建てられた風格あるある近代建築です。当時の建築としては威容を誇り、また、大正ロマンを体現した建造物です。
老舗に相応しい室内の格調の高さは格別です。来店されたお客さんがその「ハレ」の感覚を抱かれるようです。この度の視察ではお客様でも滅多に上がることのない2階へ特別に案内していただきました。
2階は高級で重厚感のあるホールです。そのホールで、飯島新一郎副社長から飯島商店の歴史的背景をお聞きしました。
飯島商店は社屋の重厚さもさることながら、現在は工場として現役の繭倉庫が現存しています。1894年、当時の上田倉庫の繭集積倉庫として建設されたものです。蚕都上田の駅前風景を現在に伝える唯一の建築物です。
(つづく)
上塩尻は北国街道沿いの集落です。江戸期、塩尻地区では蚕種製造業が発達し、幕末には既に日本最大級の蚕種製造地となりました。かつては殆どの家々で蚕種製造が営まれていました。現在もなお蚕種製造のための蚕室造りの民家が数多く残っています。「藤本の蚕室」もその一つです。1868年(明治元年)頃に建ったと伝えられています。
蚕室の特徴の一つは屋根の上に細長く伸びる腰屋根です。気抜とも言います。蚕は湿気や乾燥を嫌うため、蚕室内の温度調節、湿度調節のための腰屋根が付いています。
養蚕にとって大敵であった寒さ防止のための埋薪(まいしん)という仕掛けが施されています。韓国のオンドル(温突)に似た仕掛けです。
蚕種製造民家は全国的にはめずらしく、上塩尻に数多く残っています。
上塩尻の集落の特色は蚕室造りの建物が数多い一方で、道路が極めて狭いことです。北国街道から分岐する道を小路と呼んでいます。この小路は馬場姓が多いことから馬場小路と呼ばれています。
上塩尻のメインストリートは北国街道(善光寺道)です。西は善光寺や金沢へ、東は軽井沢で中山道に合流し江戸東京方面へと延びています。まさに日本シルクロードです。
柳町
柳町は北国街道の上田宿です。生糸貿易で栄えた明治以後、繭取引商が集積しました。柳町の歴史ある街並みが保全されています。
蚕都上田館(旧上田市立図書館)
蚕都上田館は1915年に築かれたドイツ様式の洋風建築です。今年2015年、ちょうど築100周年を迎えました。蚕糸業で上田が繁栄し絶頂へと向かう時代の気風を今日によく伝えた数少ない建造物の一つです。
耐震性の課題もあり、今後に向けての観光資源としての活用が課題となります。上田の最大の観光スポットである上田城跡公園に近く、上田はお城と真田氏ばかりではない「蚕都」の遺産があることを知って上田の歴史に関心を持たれる方が少なくありません。
飯島商店
みすず飴本舗こと飯島商店の社屋は1922年に建てられた風格あるある近代建築です。当時の建築としては威容を誇り、また、大正ロマンを体現した建造物です。
老舗に相応しい室内の格調の高さは格別です。来店されたお客さんがその「ハレ」の感覚を抱かれるようです。この度の視察ではお客様でも滅多に上がることのない2階へ特別に案内していただきました。
2階は高級で重厚感のあるホールです。そのホールで、飯島新一郎副社長から飯島商店の歴史的背景をお聞きしました。
飯島商店は社屋の重厚さもさることながら、現在は工場として現役の繭倉庫が現存しています。1894年、当時の上田倉庫の繭集積倉庫として建設されたものです。蚕都上田の駅前風景を現在に伝える唯一の建築物です。
(つづく)
2015年02月25日
蚕都上田視察同行記2:信大桑園、海野宿、大屋駅、カネタの煙突
信州大学繊維学部の桑園
昼食を済ませた後、向かった先は信州大学繊維学部の桑園(付属農場)です。限られた時間内での視察のため、既に視察済の信大繊維学部は行程からは省き、桑園をマイクロバスの車窓越しに一望しました。
信大には広大な桑園があります。驚くことにこの桑園には3桁の種類の桑の木があります。同行者から上田産生糸で上田紬を織る「蚕飼姫(こがいひめ)プロジェクト」の説明もさせていただきました。
海野宿(東御市)
富岡方面から信州に入るとその一番手前に位置するのが海野宿です。蚕都上田とは旧小県(ちいさがた)郡をエリアとする呼称です。海野宿も蚕都上田になります。最初に白鳥神社へ。真田氏にゆかりのある神社で、ご覧のとおり真田氏の家紋・州浜が描かれています。
海野宿は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。北国街道の宿場としての歴史があります。しかしながら明治に入ると蚕種業に転じる家々が多くなり、各家々は富を得てウダツのある立派な建物に建て替えられました。生糸貿易の繁栄により形成された明治期の街並みが現在の街並みの基調です。
現存する古い建物の多くは明治期に建てられたものです。その立派さは一瞥するだけでも実感できます。
大屋駅・シルクロード交易の要衝の駅
続いて大屋駅へ。信越本線(現在はしなの鉄道)は、大屋駅は1896年、輸出生糸の移送のため住民の請願によって作られためずらしい経緯のある駅です。駅舎内には大正11年(1922年)設置の大時計が今なお現役で動作しています。
大屋駅の前には、建設を記念した石碑が建っています。大屋は鉄道敷設以前から諏訪岡谷方面からの生糸を横浜へ運ぶための交易の要衝地でもありました。諏訪岡谷に中央線が敷設されるまで大量の生糸が諏訪岡谷から大屋駅を経由して横浜へと運ばれていました。
製糸のまち丸子とカネタの煙突
続いて旧丸子町へ。旧丸子町は大屋駅と和田峠の間に位置しています。和田峠の先は諏訪岡谷へつながっています。このルートが日本シルクロードの中でもおそらくは最も輸送量の多かったルートではないかと思われます。
カネタの煙突は1920年の建造です。本来、高さ36 メートルありましたが、現在は耐震性の問題から上部が取り壊され、基部11メートルが残るのみです。丸子の製糸業は金田製糸場を含む数多くの企業結社「依田社」となり、最盛期には国内で4番目の生糸生産量を誇っていました。全国に現存する製糸場遺産は極めて少ない状況です。富岡製糸場と糸都岡谷を結ぶ和田峠経由の日本シルクロードルートに笠原工業常田館製糸場(上田市)、カネタの煙突(旧丸子町)が位置しています。カネタの煙突は将来に向けて保全活用が望まれる製糸業遺構の一つです。
上田名物の逆さ霧
旧丸子町から蚕種製造の中心地であった上塩尻に向かいます。途中、塩田平を経由して上塩尻に向かいました。この日は幸いに「逆さ霧」が現れていました。ちょうど塩尻地区の背後にある山に逆さ霧が現れます。日本海側気候の末端部に位置する上田では気象条件によって、雲が尾根を越えて下ってくる珍しい現象が起きます。
(つづく)
昼食を済ませた後、向かった先は信州大学繊維学部の桑園(付属農場)です。限られた時間内での視察のため、既に視察済の信大繊維学部は行程からは省き、桑園をマイクロバスの車窓越しに一望しました。
信大には広大な桑園があります。驚くことにこの桑園には3桁の種類の桑の木があります。同行者から上田産生糸で上田紬を織る「蚕飼姫(こがいひめ)プロジェクト」の説明もさせていただきました。
海野宿(東御市)
富岡方面から信州に入るとその一番手前に位置するのが海野宿です。蚕都上田とは旧小県(ちいさがた)郡をエリアとする呼称です。海野宿も蚕都上田になります。最初に白鳥神社へ。真田氏にゆかりのある神社で、ご覧のとおり真田氏の家紋・州浜が描かれています。
海野宿は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。北国街道の宿場としての歴史があります。しかしながら明治に入ると蚕種業に転じる家々が多くなり、各家々は富を得てウダツのある立派な建物に建て替えられました。生糸貿易の繁栄により形成された明治期の街並みが現在の街並みの基調です。
現存する古い建物の多くは明治期に建てられたものです。その立派さは一瞥するだけでも実感できます。
大屋駅・シルクロード交易の要衝の駅
続いて大屋駅へ。信越本線(現在はしなの鉄道)は、大屋駅は1896年、輸出生糸の移送のため住民の請願によって作られためずらしい経緯のある駅です。駅舎内には大正11年(1922年)設置の大時計が今なお現役で動作しています。
大屋駅の前には、建設を記念した石碑が建っています。大屋は鉄道敷設以前から諏訪岡谷方面からの生糸を横浜へ運ぶための交易の要衝地でもありました。諏訪岡谷に中央線が敷設されるまで大量の生糸が諏訪岡谷から大屋駅を経由して横浜へと運ばれていました。
製糸のまち丸子とカネタの煙突
続いて旧丸子町へ。旧丸子町は大屋駅と和田峠の間に位置しています。和田峠の先は諏訪岡谷へつながっています。このルートが日本シルクロードの中でもおそらくは最も輸送量の多かったルートではないかと思われます。
カネタの煙突は1920年の建造です。本来、高さ36 メートルありましたが、現在は耐震性の問題から上部が取り壊され、基部11メートルが残るのみです。丸子の製糸業は金田製糸場を含む数多くの企業結社「依田社」となり、最盛期には国内で4番目の生糸生産量を誇っていました。全国に現存する製糸場遺産は極めて少ない状況です。富岡製糸場と糸都岡谷を結ぶ和田峠経由の日本シルクロードルートに笠原工業常田館製糸場(上田市)、カネタの煙突(旧丸子町)が位置しています。カネタの煙突は将来に向けて保全活用が望まれる製糸業遺構の一つです。
上田名物の逆さ霧
旧丸子町から蚕種製造の中心地であった上塩尻に向かいます。途中、塩田平を経由して上塩尻に向かいました。この日は幸いに「逆さ霧」が現れていました。ちょうど塩尻地区の背後にある山に逆さ霧が現れます。日本海側気候の末端部に位置する上田では気象条件によって、雲が尾根を越えて下ってくる珍しい現象が起きます。
(つづく)
2015年02月25日
蚕都上田視察同行記1:蚕神像、上田蚕種、藤本つむぎ工房
2/23(月)、経済産業省関東経済産業局の「絹のみち広域連携プロジェクト」御担当者3名が蚕都上田の蚕糸業関連施設などを丸一日をかけて視察されました。以下、一日案内させていただいた御視察同行記を行程のままにお伝えします。視察各所は蚕都上田の蚕糸業歴史遺産群であり、「日本シルクロード(絹のみち)観光の蚕都上田観光資源」とも捉えられるものです。(文責:前川道博〔蚕都上田プロジェクト代表世話人〕)
絹のみち広域連携プロジェクトと蚕都上田
「絹のみち広域連携プロジェクト」は「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録を契機に、蚕糸業で栄えた各地域をつなぎ、さまざまな取り組みを推進して地域の経済活性化を促進するものです。富岡と上田は新幹線ではわずか40分ほどの至近距離にあり(高崎~上田間)、高速道でも約1時間ほどで移動できます。信州(長野県)は蚕糸王国と呼ばれるほど全国で随一の蚕糸業中心地域でした。上田はそれ自体が蚕種製造・蚕業教育の中心地で製糸業も盛んでした。さらには上田紬の伝統もあります。富岡方面から中南信(松本・安曇野・諏訪岡谷)へ行くにも、東北信(松代・須坂)へ行くにも上田は絹のみちの分岐点、すなわちシルク交易の要衝地でもありました。富岡の次に立ち寄りたいシルク観光のまち、それが蚕都上田なのです。
上田駅の蚕神像
上田駅の改札でお迎えをした後、駅構内にある「蚕神像」をご紹介しました。観光客が出入りする場所に設置されているにもかかわらず、その存在のあまりの奥ゆかしさ故に看過されがちですが、いつも観光客を出迎えてくれています。像は上田出身の美術家・中村直人の作品です。
当日は限られた時間で効率よく視察をしていただくため、終日、鹿教湯温泉・斎藤ホテルのご協力をいただきました。
上田商工会議所で関係者が挨拶・懇談しました。関東経産局産業部次長の大熊章さんが「上田に期待するところが大きい」と挨拶をされました。上田側からは上田商工会議所の田口邦勝専務理事、笠原工業の笠原一洋会長があいさつをされました。なお、視察行程には蚕都上田の歴史に詳しい歴史研究家の阿部勇さんが同行され、解説をされました。
上田蚕種(蚕種製造会社)
最初に訪れたのが、上田蚕種株式会社です。日本では殆ど唯一といってよい現役の蚕種製造会社です。事務棟は1917年築の洋風建築です。蚕糸業が全盛であった時代の面影をよく残しています。経済産業省の近代化産業遺産にも選定されています。
上田蚕種の手塚本衛社長から蚕種製造のご説明をお聞きしました。
品種の異なるオスメスの蚕蛾を交尾させるとより大きな蚕が生まれます。この蚕を養蚕で育て繭を取り出します。下のサンプルは錦秋1号と鐘和1号の繭と掛け合わせた蛾が作った繭です。掛け合わせの繭の方が大きいのがわかります。
上田蚕種では現在もなお蚕種製造が行われています。作業棟にはさまざまな工程に応じた作業室があり、ここではほんの一部しか紹介できません。下は、鏡検室です。鏡検は蚕の大敵・微粒子病の蔓延を未然に防ぐために欠かせない工程です。
蚕種製造施設での圧巻は「冷蔵室」です。この設備は全国でもおそらくここでしか見ることができません。蚕種は冷蔵することによって孵化する時期を遅らせることができます。そのため、春・夏・秋と季節を超えて蚕を孵化させることができるようになりました。下の冷蔵室は気温が1℃に保たれています。
藤本つむぎ工房
次に藤本つむぎ工房を訪れました。上田紬を代表する織元の一つです。
藤本つむぎ工房の佐藤圭司さんから紬の工程や製品に関するご説明を受けました。
視察団の方々は機織り機が体験用に用意されていることにも感心をされていました。
藤本つむぎ工房の売店にはさまざまな商品が品揃えされています。着物、反物はもとより、ネクタイ、財布、名刺入れ、バッグ、帽子、スカーフなど。格子縞は上田紬の代表的なデザインです。
以上で視察午前の部はおわりです。この後、昼食を取った後、午後の部へと続きます。
(つづく)
絹のみち広域連携プロジェクトと蚕都上田
「絹のみち広域連携プロジェクト」は「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録を契機に、蚕糸業で栄えた各地域をつなぎ、さまざまな取り組みを推進して地域の経済活性化を促進するものです。富岡と上田は新幹線ではわずか40分ほどの至近距離にあり(高崎~上田間)、高速道でも約1時間ほどで移動できます。信州(長野県)は蚕糸王国と呼ばれるほど全国で随一の蚕糸業中心地域でした。上田はそれ自体が蚕種製造・蚕業教育の中心地で製糸業も盛んでした。さらには上田紬の伝統もあります。富岡方面から中南信(松本・安曇野・諏訪岡谷)へ行くにも、東北信(松代・須坂)へ行くにも上田は絹のみちの分岐点、すなわちシルク交易の要衝地でもありました。富岡の次に立ち寄りたいシルク観光のまち、それが蚕都上田なのです。
上田駅の蚕神像
上田駅の改札でお迎えをした後、駅構内にある「蚕神像」をご紹介しました。観光客が出入りする場所に設置されているにもかかわらず、その存在のあまりの奥ゆかしさ故に看過されがちですが、いつも観光客を出迎えてくれています。像は上田出身の美術家・中村直人の作品です。
当日は限られた時間で効率よく視察をしていただくため、終日、鹿教湯温泉・斎藤ホテルのご協力をいただきました。
上田商工会議所で関係者が挨拶・懇談しました。関東経産局産業部次長の大熊章さんが「上田に期待するところが大きい」と挨拶をされました。上田側からは上田商工会議所の田口邦勝専務理事、笠原工業の笠原一洋会長があいさつをされました。なお、視察行程には蚕都上田の歴史に詳しい歴史研究家の阿部勇さんが同行され、解説をされました。
上田蚕種(蚕種製造会社)
最初に訪れたのが、上田蚕種株式会社です。日本では殆ど唯一といってよい現役の蚕種製造会社です。事務棟は1917年築の洋風建築です。蚕糸業が全盛であった時代の面影をよく残しています。経済産業省の近代化産業遺産にも選定されています。
上田蚕種の手塚本衛社長から蚕種製造のご説明をお聞きしました。
品種の異なるオスメスの蚕蛾を交尾させるとより大きな蚕が生まれます。この蚕を養蚕で育て繭を取り出します。下のサンプルは錦秋1号と鐘和1号の繭と掛け合わせた蛾が作った繭です。掛け合わせの繭の方が大きいのがわかります。
上田蚕種では現在もなお蚕種製造が行われています。作業棟にはさまざまな工程に応じた作業室があり、ここではほんの一部しか紹介できません。下は、鏡検室です。鏡検は蚕の大敵・微粒子病の蔓延を未然に防ぐために欠かせない工程です。
蚕種製造施設での圧巻は「冷蔵室」です。この設備は全国でもおそらくここでしか見ることができません。蚕種は冷蔵することによって孵化する時期を遅らせることができます。そのため、春・夏・秋と季節を超えて蚕を孵化させることができるようになりました。下の冷蔵室は気温が1℃に保たれています。
藤本つむぎ工房
次に藤本つむぎ工房を訪れました。上田紬を代表する織元の一つです。
藤本つむぎ工房の佐藤圭司さんから紬の工程や製品に関するご説明を受けました。
視察団の方々は機織り機が体験用に用意されていることにも感心をされていました。
藤本つむぎ工房の売店にはさまざまな商品が品揃えされています。着物、反物はもとより、ネクタイ、財布、名刺入れ、バッグ、帽子、スカーフなど。格子縞は上田紬の代表的なデザインです。
以上で視察午前の部はおわりです。この後、昼食を取った後、午後の部へと続きます。
(つづく)
2015年01月10日
蚕都上田館・冬季休館中(12~3月)です
あっという間に冬になり、2015年を迎えました。皆様にとりましてもよい一年となりますことをお祈りいたします。
蚕都上田館は、冬季期間中(2014年12月~2015年3月)は休館させていただいています。
次回開館は2015年4月4日(土)の予定です。
春~秋季(4~11月)は毎週 土・日の10:00~16:00に開館する予定です。
蚕都上田館の開館情報は、「おらほねっと」の次のページでお伝えしています。
http://sns.orahonet.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=14126&bbs_id=194&res=1325433339
2015年1月9日の蚕都上田館の様子です。気候がやわらぐ4月まで休館しています。
何もおもてなしするものがありませんが、何よりこの建物が歴史的建造物です。一見の価値があります。この建物が冬季休館中には何よりのおもてなしです。蚕都上田の歴史を代表する建物の一つです。2015年を迎え、ちょうど築100周年の記念すべき年となりました。
建物の外の掲示板には、冬季休館のお知らせの他、何枚かの掲示で蚕都上田を紹介しています。ネットでもご覧いただけるようこちらにも掲載いたします。
蚕都上田館は、冬季期間中(2014年12月~2015年3月)は休館させていただいています。
次回開館は2015年4月4日(土)の予定です。
春~秋季(4~11月)は毎週 土・日の10:00~16:00に開館する予定です。
蚕都上田館の開館情報は、「おらほねっと」の次のページでお伝えしています。
http://sns.orahonet.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=14126&bbs_id=194&res=1325433339
2015年1月9日の蚕都上田館の様子です。気候がやわらぐ4月まで休館しています。
何もおもてなしするものがありませんが、何よりこの建物が歴史的建造物です。一見の価値があります。この建物が冬季休館中には何よりのおもてなしです。蚕都上田の歴史を代表する建物の一つです。2015年を迎え、ちょうど築100周年の記念すべき年となりました。
建物の外の掲示板には、冬季休館のお知らせの他、何枚かの掲示で蚕都上田を紹介しています。ネットでもご覧いただけるようこちらにも掲載いたします。
2014年11月17日
11/16の蚕都上田館と「三吉米熊」像
11月も中旬になると紅葉の盛りも過ぎ、落葉した木々が目立つようになります。気候も一段と寒くなりました。蚕都上田館は11月中は土日、開館をしています。館の前のイチョウも真っ黄色となり、落葉が目立つようになりました。
上田城跡公園のけやきも落葉が進みました。
公園内にある三吉米熊先生の胸像の背景に上田城の櫓がはっきりと見通せるようになっていました。これも落葉の効果に他なりません。
蚕都と呼ばれた信州上田は蚕業教育の中心地でもありました。小県蚕業学校では養蚕を学んだ生徒が全国で養蚕教師となり、蚕糸業の発展に大きく貢献しました。その蚕業学校の初代校長が三吉米熊先生(1860-1927)です。その業績は胸像の前にも記されています。
三吉米熊先生の前で熱心に解説に聞きいっている方々もいました。
肌寒くなっても、上田城を訪れる観光客も数多いことに驚かされます。駐車場の車のナンバーを見ると半分は県外の車です。車で来てピンポイントで上田城に立ち寄る、という形で訪れている方が多いようです。
上田城跡公園のけやきも落葉が進みました。
公園内にある三吉米熊先生の胸像の背景に上田城の櫓がはっきりと見通せるようになっていました。これも落葉の効果に他なりません。
蚕都と呼ばれた信州上田は蚕業教育の中心地でもありました。小県蚕業学校では養蚕を学んだ生徒が全国で養蚕教師となり、蚕糸業の発展に大きく貢献しました。その蚕業学校の初代校長が三吉米熊先生(1860-1927)です。その業績は胸像の前にも記されています。
三吉米熊先生の前で熱心に解説に聞きいっている方々もいました。
肌寒くなっても、上田城を訪れる観光客も数多いことに驚かされます。駐車場の車のナンバーを見ると半分は県外の車です。車で来てピンポイントで上田城に立ち寄る、という形で訪れている方が多いようです。
2014年11月09日
That's 上田つるし飾り
11/1~11/9の9日間にわたり開催した「第8回甦る布展」は、おかげさまででは連日数多くの方々にご来場いただき、大盛況のうちに終えることができました。ご来場いただいた皆様、ご協力いただいた皆様に感謝いたします。
催し自体は終了しましたが、ここで展示しました「上田つるし飾り」は蚕都上田を彩る地域の伝統文化です。全国的につるし飾りに対する関心が高まっていますが、押し絵雛風の平板なつるし飾りは上田に固有の文化「上田つるし飾り」です。このたびの「甦る布展」では、「上田つるし飾り」にこだわり、数多くのつる飾りを展示して楽しんでいただきました。ここではそれらのいくつかを画像でご紹介します。
催し自体は終了しましたが、ここで展示しました「上田つるし飾り」は蚕都上田を彩る地域の伝統文化です。全国的につるし飾りに対する関心が高まっていますが、押し絵雛風の平板なつるし飾りは上田に固有の文化「上田つるし飾り」です。このたびの「甦る布展」では、「上田つるし飾り」にこだわり、数多くのつる飾りを展示して楽しんでいただきました。ここではそれらのいくつかを画像でご紹介します。
2014年11月02日
「第8回・甦る布展」開催中です 11/9まで
上田城けやき並木紅葉まつりが11/1(土)~11/9(日)の期間、開催されています。上田城跡公園の下の公園にはお店などが出展して11/1~2の2日間、大勢の人々で賑わいました。空堀に植えられたけやき並木も黄葉(紅葉)して見頃になっています。
上田城けやき並木紅葉まつりの関連イベントして、蚕都上田館で開催しているのが「甦る布展」です。2010年、蚕都上田館をオープンして以来、毎年、紅葉まつりにあわせて開催しています。蚕都上田プロジェクト、上田さくら会・まゆの会が共同で主催しています。
今年は展示内容がさらに充実してきました。今回の展示では、メインテーマ「宝船」がいくつも展示されています。押し絵雛風の平面的な形状に特色がある「上田つるし飾り」を充実させたのも今回の展示の特色です。
本日11/2も大勢の方々が来館されて、つるし飾りや人形などを堪能されていました。
甦る布展は11/9(日)まで連日開催されます。蚕都上田館は紅葉の上田城跡公園のすぐ近く、上田市観光開館の隣です。皆様もどうぞ「甦る布展」にお越しください。お待ちしております。